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紙面復刻:原田4年前の雪辱の大飛躍

ジャンプ団体で金メダルを獲得した左から船木、原田、岡部、斉藤
ジャンプ団体で金メダルを獲得した左から船木、原田、岡部、斉藤

<冬季五輪長野大会:98年2月18日付け日刊スポーツから>

 日本中が原田雅彦(29=雪印)の涙に泣いた。感動が白馬に、世界に広がった。岡部孝信(27=雪印)斎藤浩哉(27=同)原田、船木和喜(22=デサント)の最強メンバーで臨んだ日本ジャンプ陣が、悲願の団体戦金メダルを勝ち取った。4年前のリレハンメル大会、世紀の失敗ジャンプで心の傷を背負い続けてきた原田は1本目、悪夢再現となる79・5メートルの大失速。だがジャンプ人生をかけた2本目に137メートルのバッケンレコード・タイ。アンカー船木がガッチリとリードを守り、日本五輪史上、夏冬合わせて100個目のメモリアル金をもぎ取った。もう下を向くことはない。原田が男になった。 

 われを失っていた。腰が完全に砕けていた。原田が雪原をさまよった。視線が定まらない。相手などだれでもよかった。目に入った人間の胸に辺り構わず飛び込んだ。パニックを通り越し、頭の中は真空状態。

 号泣インタビューは日本語になっていなかった。「やっらよー、やった。もーうれしいよー、ウウウウワァー(号泣)。こーらい、こーらい」。傍らにいる岡部、斎藤に「交代」を命じる声は、完全に裏返っていた。

 「泣くなよ、ハラダ」。ただの酔っ払いのオジサンのようになった原田に、年下のチームメートが祝福のバ声? を浴びせる。それがまた原田にはうれしかった。年下の頼もしきライバルたちと勝ち取った金メダル。4年間の苦しみが、全身から抜けていく。高圧電流が原田の体を駆け抜けた。

 1998年2月17日、午後0時0分46秒。歴史がつくられた。アンカーの重責を託した船木が、こん身のテレマークを入れ、電光掲示板のトップに「JAPAN」が映し出された。船木目がけて、足をヨタヨタさせながら原田が走る、走る。その船木をあおむけになぎ倒すと、また一人号泣。今度は自分が大の字に倒れ込んだ。涙の滴が、硬いアイスバーンを溶かした。

 報道陣でごった返すミックスゾーン。そこにたどり着いても、原田の口元はおぼつかなかった。

 原田 ここは……長野だから……4人力を合わせて……金メダルとったの。4人(が)たすき(を)渡し合ったんだよな。みんな最高だったよ。オレじゃないよ。チームメートみんなで(号泣)ね。オレじゃないよ。お客さんも……頑張ったな。

 3万5000大観衆のハラダコールが渦巻く。日の丸、スキー板、応援旗……。自分が何を持っているか判断がつかない。それらを何度も何度も打ち振りながら、放心状態の中、原田はブレーキングゾーンを駆け回った。何とも情けなく、でもカッコ良く、原田だから泣かせてくれる。世界の超一流が集まる白馬は、あらゆるものを差し置いて原田の独壇場だった。

 [2010年2月23日4時9分]


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