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37歳葛西“長野の雪辱”へ6度目目指す

スキー板を担いでリフトへ向かう葛西
スキー板を担いでリフトへ向かう葛西

 来年2月12日のバンクーバー五輪開幕まで、4日であと100日。本番に向けて、過去の五輪を経験した各競技の「ベテラン」が、着々と準備を整えている。スキージャンプの葛西紀明(37=土屋ホーム)は、冬季五輪の日本人最多となる6大会連続の出場に挑む。欧州では20歳代で引退する選手がほとんどというジャンプ界にあって、息の長い活躍。11年前の悔しさが、今も葛西を突き動かす。

 葛西には消せない記憶がある。日本人最多の5回の五輪出場、世界選手権も最多の10回出場、W杯では日本人最多タイの15勝など輝かしい記録を残す裏で、98年長野五輪で心に刻まれた傷に今も苦しんでいる。「夜、思い出すと眠れないほど悔しさが込み上げてくる。癒やすには五輪で金メダルを取るしかない」。100日後の五輪開幕に向け、決意を新たにしている。

 11年前、長野五輪団体金メダルのメンバーに葛西の名前はなかった。直前のW杯で負傷した影響もあってメンバーから外れた。隣のノーマルヒルのランディングバーン(着地後の滑走路)から見た世紀の瞬間は、涙でまったく見えなかった。「なぜ自分はあそこにいないのか? 岡部さん、船木に金があってボクにないのはおかしい」。欧州では20代で引退するのが既定路線だが、いまだ飛び続ける理由がそこにある。

 葛西のスキー人生は平たんではない。95年にはわずか2カ月間で2度転倒し、左鎖骨を骨折の重傷を負うなど、幾多のケガで競技復帰が危ぶまれることもあった。最初の所属先の地崎工業は不況で長野五輪後に廃部。続くマイカルは、02年ソルトレークシティー五輪のシーズンに廃部となった。長野五輪前年の97年には母幸子さんが、火事で48歳の若さで他界。「辞めようと思ったことは1度もないけど、母さんのことが一番苦しかった」と振り返る。

 それでもつぶれなかった。15歳年下の竹内択(北野建設)は「大会でどんな悪い結果でも、その街のいいものを探してまた来ようと言う。ポジティブで意志が強い」と話す。金メダルへの強い思いが悲運のエースを支えてきた。

 葛西は今季、母幸子さんの命日の5月10日に故郷北海道・下川町のお墓を訪れ、翌11日から本格始動した。常に自分を信じ、支えてくれた母に「世界一になる」と誓った。昨季のW杯転戦中、19歳の世界王者シュリーレンツァウアー(オーストリア)が、直立の姿勢から高さ約160センチハードルを跳ぶ姿に衝撃を受け、肉体改造に着手した。30歳からは肉体の維持に主眼を置いていたが、「トップに追いつくためにもう1度やりなおす」。他のトップクラスの選手が「ストイック」と言うほどの練習量で進化を続けている。

 今夏のサマーGPでは総合10位で6回目の五輪出場は、ほぼ確実。11月27日にフィンランドで開幕するW杯初戦に向け、10日に出発する欧州遠征を前に「こんな調子いいのは初めて」と万全の態勢だ。日本のエースが大舞台へ忘れ物を取りにいく。【松末守司】

 [2009年11月4日8時40分 紙面から]


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