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Freestyle Skiing愛子4位…バンクーバー五輪までの軌跡
◆上村愛子のバンクーバー五輪までの軌跡◆
▼94年1月 母・圭子さんに勧められたカナダ1人旅行の際、モーグルのW杯ブラッコム大会を観戦。帰国後、母に「私、モーグルやるから」と告げた。
▼97年 W杯は97-98年28位。
▼98年2月 18歳で初出場の長野五輪で7位入賞。。「1ケタに入ればいいと思っていたから、7位は大満足。でも自分の入賞より、(里谷)多英さんの優勝の方がうれしい。2人で泣きました」。
▼99年 W杯は98-99年6位。
▼00年 W杯は99-00年4位。
▼01年 W杯は00-01年2位。世界選手権で銅メダル。
▼02年2月 日本のエースとして、メダルを期待されて臨んだソルトレークシティー五輪では6位だった。外反母趾(ぼし)に苦しみ、ヒザや腰が痛んだ。
▼02年3月 世界選手権で銅メダル。
▼03年1月 W杯で初勝利。
▼04年 02-03年シーズンから、縦回転系の技、3Dエアが解禁され、ライバルたちは、バックフリップ(後方1回転)を身につけていた。「今シーズンは、早く終われって、思っていました」と、03-04年は1度も表彰台に上がれず。
▼05年2月 W杯ボス大会でエアが決まり、約2年ぶりの優勝。新しい技が決まったら、すごい結果が出るんだなと確信しました」。
▼06年2月 トリノ五輪5位。3Dエア「コークスクリュー720」(軸を斜めに2回転)を身につけたが表彰台に届かず。「どうやったら五輪の表彰台に上がれるのか、またナゾです」。
▼同年6月 98年長野五輪銀メダル、02年ソルトレークシティー五輪金メダル、W杯通算25勝のヤンネ・ラハテラ氏(フィンランド)が全日本チームのコーチに就任し「ヤンネさんは、スキーが上手にならないと、コブの中でもうまくならないという考えの人。派手なことは言わないけど、一番大切なものはこれですよ、と常に教えてくれる」。
▼08年2月 W杯猪苗代大会で、3年ぶりの優勝を果たすと一気に5連勝。スキー競技では日本人6人目のW杯種目別総合優勝を決めた。
▼09年3月 世界選手権は2冠。
▼同年6月11日 アルペンスキーの皆川賢太郎と結婚。
▼同年12月11日W杯開幕戦は2位に入り、W杯通算30回目の表彰台に立った。
▼同年同月12日 W杯第2戦は予選落ち。
▼10年1月8日 W杯第3戦は14位。
▼同年同月9日 W杯第4戦は2位に入り、昨年12月の開幕戦以来、今季2度目の表彰台。
▼同年同月14日 W杯第5戦は5位も「今季初めて集中して滑れた。エアでは失敗したが、いいところが多くて『よかった、来た』という感じがある」。
▼同年同月16日 W杯第6戦は24位で予選落ち。
▼同年同月21日 W杯大7戦は6位。今季未勝利で五輪本番へ向かった。
[2010年2月14日14時25分]
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