フリースタイル
Freestyle Skiing愛子あと1人メダル逃がす/モーグル
<バンクーバー五輪:女子モーグル>◇13日(日本時間14日)◇サイプレスマウンテン
フリースタイルスキー女子モーグルの上村愛子(30=北野建設)が、惜しくもメダルを逃した。不器用だがまじめに母圭子さん(58)と人生を歩み、18歳だった98年長野五輪7位から4年ごとに、1つずつ順位を上げて自己最高の4位。近いようで遠かった表彰台まであと1歩に迫り、泣き笑いを浮かべた。冬季五輪の個人種目での4大会連続入賞は、スピードスケートの橋本聖子らを抜いて日本人最多記録となった。
雨に打たれ、上村は笑って泣いた。「何でこんな、1段1段なんだろうと思いましたけど、五輪で全力を出すというのが第1の難関だった。それがクリアできて、皆さんにしっかりと見てもらったと思います」。4位。98年長野五輪の7位から4年ごとに1段ずつ、階段を上ったが、もう1段が遠かった。
予選は5位で通過。決勝は攻めた。第1エアのヘリコプター(横1回転)は大きく決めた。体が後ろに傾き、スピードを欠いた。第2エア。バックフリップ(後方宙返り)の着地で、左足がわずかに外へ流れた。フィニッシュと同時に右手を上げた。4人を残して2位。直後の2人が連続で転倒し“タナボタ”の空気が一瞬漂ったが、最後の2人に抜かれ、表彰台は消えた。
07-08年シーズンにW杯種目別総合優勝。09年の世界選手権では2冠。モーグル選手としては世界の頂点に立った。なのに、五輪だけはメダルと縁がない。「『なぜだろう』はないですね。自分は全力を出したなって思うし、本当にパワフルな滑りをした人が1、2、3に入っている。自分はそこが足りなかったのかなと思います」。滑りには納得できたと思っているのに、泣けてくる。「メダルに届くように支えてくれる人がすごく多かったので、それを考えると、すごい涙がどんどん出てきます」。
コツコツ生きてきた。中3の時、両親が離婚した。母圭子さんや兄宗輔さんと支え合ってきた。圭子さんは「本当によく頑張った。今までのこと、すべて頑張ったと言ってやりたいです」とねぎらった。
98年長野五輪のころは、足や腕が太くなるのが嫌で、食事をしっかり食べなかった。ひざのケガが続いた06年トリノ五輪前後から、本格的な体幹トレーニングに取り組んだ。スキーブーツをはき続け、外反母趾(ぼし)に悩まされた。今は、スキーブーツに入れるソールを普段の靴にも使う。
圭子さんは言う。「以前は自分の体についた筋肉を気にしていた。最近は女性とは思えないほど、しっかりした筋肉がついているんです」。夫には「お母さんが安心してくれる人」として、アルペンスキーの皆川を選んだ。五輪4大会。12年の歳月が「少女」を「選手」「妻」へと変えた。
今後のことは、まだ考えていない。「(バンクーバー近郊の)ウィスラーでモーグルに出会って、ここでメダルを取れていたら、辞めていたかもしれない。もう少しゆっくり考えようかなと思います」。マネジメント事務所「スポーツビズ」の山本社長は「(14年の)ソチまでやったっていいんじゃないか」と言う。
一方で、圭子さんは、娘の将来を思う。「自分は愛子という子どもがいて、本当に幸せで仕方がない。愛子も、自分がお母さんになった時、私と同じように、この幸せを感じてくれたらうれしいです」。妻として、母として新たな人生を歩むのか、あるいは選手としてメダルに再挑戦するのか。いずれにしろ、上村の人生にはまだまだ楽しみが残っている。【佐々木一郎】
[2010年2月15日8時36分 紙面から]
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