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ノルディック複合

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紙面復刻:三ケ田、河野、荻原!日本初V

<冬季五輪アルベールビル大会:1992年2月19日日刊スポーツ紙面から>

 スキー・ノルディック複合団体で、日本が大殊勲の金メダルを獲得した。1972年(昭47)札幌のスキー純ジャンプ70メートル級優勝の笠谷幸生以来、冬季五輪史上2度目となる20年ぶりの快挙を成し遂げた。前半のジャンプを首位で折り返した日本は、距離(各10キロ)でも三ケ田礼一(25=リクルート)河野孝典(22=野沢温泉ク)荻原健司(22=早大)が危なげなくトップを快走。強敵ノルウェーに1分26秒差をつけて圧勝した。今大会の日本のメダルは計5個となり、札幌の3個を一気に更新した。

 金メダルに向かって、荻原が「日の丸」の旗を振り回しながらゴールに向かう。あと100メートル、前にはだれも走っていない。「信じられない」。荻原が1回、2回、3回と振り回す。あと30メートル。観客席の日本人約20人の応援団に向かって日の丸を掲げながらゴール。今大会初の、夢にまでみた金メダル獲得の瞬間だ。両手を突き上げゴールラインをまたぐ。待っていた1走の三ケ田、2走の河野が荻原に抱きつく。涙はない。笑顔の金メダルだ。

 「良くやった」。ゴール地点にいた早坂コーチ、上杉ヘッドコーチが選手たちに握手を求める。男同士の抱き合いが続く。「コーチ、選手を含めたチームワークの勝利だと思う」と、上杉ヘッドコーチが目を真っ赤にしながら話す。荻原がCBSテレビのインタビューに「アイム・ハッピー」と答える。感激は終わらない。

 「もし1位で来たらゴール前100メートル地点に日の丸を置いておいてください。振り回してゴールします」。前日、荻原は八木祐四郎副団長に約束していた。

 自信はあった。ライバルはノルウェーだった。1走の三ケ田は前回の個人戦で前半ジャンプで2位につけながら33人に抜かれている。しかし、この日は違った。「僕がカギだと思っていた。死ぬ気で走りました」。昨年11月に痛めた腰はここにきて疲労がたまりだし、7キロ地点で痛みを感じだした。それでも最後までスピードは落ちなかった。1走が終わってノルウェーとの差は4分16秒2。その時点で早坂コーチは勝利を確信した。

 2走の河野もスキーがよく滑った。8キロを過ぎて右足にけいれんを覚えたが、「そんなことはかまっていられない。走ることしか考えていなかった」。河野もボロボロになりながら逃げた。

 「最高ですよ」。昨年の世界選手権の銅メダルメンバーで日本のエース、阿部雅司(26=東京美装)はメンバーから外れてレースを見学した。ジャンプの調子が70メートル台ということでメンバーには入れなかったが、この日は朝9時から選手全員のワックステストを行った。一人5台。70回程度滑りながら良いワックスを選んだ。「今度は絶対に個人で僕が金メダルを取る」と笑顔でメンバーの勝利を祝い自らの発奮材料とした。

 「これで日本でも複合競技がメジャーになると思う」と荻原。ヨーロッパでは複合の勝者が「キング・オブ・スキー」と呼ばれるほど盛んだ。今回の金メダルは、ジャパンがスキーの本場欧州で「スキーの王者」になったことを証明した。

 [2010年2月24日4時44分]


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