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チーム青森、シムソンズ…カーリング代表

ソルトレークシティ五輪代表の左から石崎、小仲、小野寺、林、加藤
ソルトレークシティ五輪代表の左から石崎、小仲、小野寺、林、加藤

 ◆カーリングの五輪日本代表 カーリングが五輪の正式種目になったのは98年の長野から。日本は選手の個々の力を重視した選抜チームで臨んだが、それが勝負どころでチームワークに影響を与え、男女とも5位とメダルに届かなかった。その反省から02年ソルトレークシティーからは代表は単独チームでという方針になった。

 02年の女子代表(男子は98年以降出場無し)になったのはカーリングの街として知られる北海道常呂町(現・北見市)で育った加藤章子、小野寺歩、林弓枝の同級生で結成された「シムソンズ」。ライバルチームにいた小仲美香、リザーブとして石崎琴美を加えた。結果は1次リーグ初戦の米国戦から6連敗を喫し、2勝7敗で8位だった。

 06年トリノの代表は、「シムソンズ」を解散した林、小野寺が就職した青森で、目黒萌絵、寺田桜子を加えた4人で結成した「チーム青森」。05年には本橋麻里も加入した。目黒がリード、本橋がセカンド、林がサード、小野寺がスキップの布陣で挑み、「カーリング娘」と呼ばれたが、結果は4勝5敗で7位、1次リーグで敗退した。

 トリノ後、「チーム青森」は小野寺と林が引退、新メンバーとして山浦麻葉が加入。07年には寺田が離脱し石崎琴美が、08年には近江谷杏菜が加わった。09年11月の五輪代表決定戦で「チーム長野」を4勝0敗(アドバンテージ2勝を含む)で下し、チームとしての2大会連続五輪出場を決めた。同年12月には「クリスタル・ジャパン」の新愛称を発表した。現在のチームでは石崎がリードを務め、本橋がセカンド、近江谷がサード、目黒がスキップとなっている。

 [2010年2月18日5時20分]


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