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真央五輪「金メダルがいい」/フィギュア

女子シングルで優勝を飾り五輪の出場が決まった浅田(撮影・たえ見朱実)
女子シングルで優勝を飾り五輪の出場が決まった浅田(撮影・たえ見朱実)

<フィギュアスケート:全日本選手権>◇最終日◇27日◇大阪府門真市・なみはやドーム

 浅田真央(19=中京大)が、女子では史上7人目の4連覇を達成し、文句なしのバンクーバー五輪切符を勝ち取った。ショートプログラム(SP)首位で迎えたフリーもトップの135・50点をマークし、総合204・62点で完全優勝。冒頭で今季絶不調だったトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を決め、初の五輪を前に完全復活をアピールした。同五輪の女子フリーは来年2月25日(日本時間26日)。世界の頂点に立つための戦いが、あらためて始まる。

 両手を突き上げる最後のポーズを決めると、浅田は目を閉じてうなずいた。一息つき、総立ちの観衆の歓声に満面の笑みで応えた。長くつらい1年の最後に、204・62点の高得点をマーク。得点が発表されると再び笑みがはじけた。SPに続き、目には光るものもあった。「ホッとした。金メダルをもらうとうれしい。五輪はやっぱり金メダルがいいと思う。初めての五輪で思い切り楽しみたい」。完全優勝で待望の切符をつかみ、五輪への思いをはせていた。

 冒頭で単発の3回転半をピタリと決めた。次に跳んだのは2回転半-2回転(回転不足とみなされ1回転)トーループ。昨年11月のNHK杯以来、フリーで2度跳び続けた3回転半を、約1年1カ月ぶりに回避した。3回転半は今季、今大会前まで8度跳んで成功は1度だけ。「朝の時点で今日は1回にしようと決めた。2回やるのは負担があるし、それよりも他の部分が大事」。女子初の、フリーで2度の3回転半成功という誇りを一時封印し、勝負に徹した。

 06年トリノ五輪は国際スケート連盟が定めた「05年7月1日時点で15歳」という年齢制限に、わずか87日だけ足らなかった。シニアデビューした05年にGPファイナルを制して「天才少女」と呼ばれた。4年後は金メダル。日本中の期待を背負うようになったが、この4年間は金妍児をはじめ国内外のライバルに苦杯をなめることも多かった。

 銀メダルに終わった07年3月の世界選手権は、表彰式後に会場のトイレで悔し泣きした。同年11月のフランス杯もSP首位ながら、演技内容に納得できずに泣いた。今季は10月のロシア杯で総合5位、150・28点と得点も順位も自己ワーストを更新し、1時間も泣いた。だが負けず嫌いの浅田は、涙を流す度に強くなってリンクに帰ってきた。

 不振を極めた10月のフランス杯、ロシア杯を振り返り「自分のジャンプでなくなっていた。スピンもステップも。でも、そういうのを見直すことができた。この2カ月はすごく充実していた」。挫折を素直に受け止めて、本来のノビノビとした演技を取り戻した。

 幼少のころから自宅のトイレに飾っていた日の丸がある。「日本一になりたい」と念じたが、次第に日本一から世界、五輪へと思いを寄せるようになった。余白には将来の夢をたくさん書き込んだ。それを目にする度に、五輪への思いを新たにした。最大の目標はバンクーバーでの金メダル。浅田が挑戦権をついにつかんだ。【高田文太】

 [2009年12月28日9時57分 紙面から]


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