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萌絵は蛍…父義重さん「北の国から」応援

 義重さんの南富良野の丸太小屋はテレビはあるが、電波状況も悪く、仕事も忙しいため、普段はあまり見ない。英国戦が行われたこの日は、近くの公民館のテレビで近所の住民らと観戦した。「勝ててほっとしてます。本当によかった」と、胸をなで下ろした。

 義重さんは、南富良野町の野外活動施設「どんころ野外学校」の代表だ。敷地内には、丸太小屋、自炊棟、五右衛門風呂のある浴場などの建物が十数棟。すべて手作りだ。義重さんは、釧路市で会社員として勤務していた85年9月、山好きが高じて、南富良野に移住した。84年11月20日に生まれた目黒は当時、生後10カ月の乳児だった。義重さんは牧場跡地700ヘクタールを借り、解体された教員住宅の廃材を安く譲り受け、夫人と3女と暮らす家を「見よう見まねで」自作し、原野での生活が始まった。

 会社員になる前に海外を旅して歩いた時に知ったアウトドア学校の日本版設立を目指し、丸太小屋作り始めた。丸太の皮を自分ではいで、ログハウスを自作。旅行者や見物人からは、81~82年に放送された「北の国から」そのままの生活に「『北の国から』みたいですね」と言われたが、「あまりテレビは見ていなくて、そのドラマを知らなかった」。作業を見守っていた見物人たちが次第に仲間になり、87年、「どんころ野外学校」がスタートした。

 電気とプロパンガスはあるが、水道は当時も今もない。沢の水を引き、ろ過して使う。風呂は金属製の大きな釜の下に、自分でまきをくべる五右衛門風呂。目黒は、まさに「北の国から」の「蛍」のように大自然の中を駆け回って過ごした。義重さんは「私が山で暮らしたくて始めた生活。本人(萌絵)には、良かったか悪かったかは分からない」と振り返る。

 目黒の遊びは夏は川でカヌー。バランスを崩せばすぐに転覆する細いカヌーを、うまく乗りこなした。目黒が小学校3年生の時、気温がマイナス30度に達する冬に、雪を踏み固めたプールに川の水を引いて凍らせ、カーリング場を手作りした。そこで目黒は夢中になって遊んだ。自然の中で培われたバランス感覚が正確なショットの原点の1つかもしれない。

 プレッシャーをかけたくないから、応援の声はかけない。それでも、心の中で「若いチームだ。自分の力を試すつもりで、やれるところまでやってみろ」と、バンクーバーの娘に語りかけている。【清水優】

 [2010年2月21日9時3分 紙面から]


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