ジャンプ
Ski Jumping金銀銅を独占!あぁ日の丸飛行隊の原点
表彰台独占で始まった!日本ジャンプの盛衰
◆表彰台独占 72年札幌五輪(70メートル級)で笠谷ら日本人3人が表彰台を独占。その後も80年レークプラシッド五輪(70メートル級)で八木が銀、秋元が4位入賞と活躍。しかし、80年代後半は振るわず、88年カルガリー五輪、89年世界選手権では、ともに団体最下位。
◆長野五輪金 90年代初頭から若手が台頭。94年W杯で初出場の船木が優勝すると、原田、葛西、岡部らも続く。94年リレハンメル五輪では団体銀。98年長野五輪では団体金、ラージヒル(LH)で船木が金、ノーマルヒル(NH)で船木が銀と絶頂期を迎えた。
◆低迷期 長野五輪後、ルール改正や若手への切り替えの遅れなどで低迷。02年ソルトレークシティー五輪では個人で船木がLH7位、団体は5位。06年トリノ五輪では岡部がLH8位、団体6位。
◆連続銅メダル 07年の世界選手権札幌大会、09年の同リベレツ大会と2大会続けて団体銅メダルを獲得し、復調の気配を示す。
[2010年2月14日2時35分]
関連ニュース
※ニュースの日記を書く方法はこちらで紹介しています。
このニュースには全0件の日記があります。
- ジャンプに期待のスーパー中学生・佐藤 [2日08:05]
- ジャンプの岡部帰国も進退は保留 [25日07:30]
- ジャンプ岡部帰国「貢献できなくて残念」 [24日21:53]
- ジャンプ日本蚊帳の外/ジャンプ [24日09:03]
- 過去の日本のジャンプ団体成績 [23日04:09]
ソーシャルブックマーク