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Figure Skating高橋悲願の銅!“引退”撤回/フィギュア
<バンクーバー五輪:男子フィギュアスケート>◇18日(日本時間19日)◇パシフィック・コロシアム
歴史を変えた! 悲願の銅メダルだ! 高橋大輔(23=関大大学院)が、フィギュアスケート日本男子初の五輪メダルを獲得した。ショートプログラム(SP)3位で迎えたフリーで、金メダルを狙って果敢に4回転トーループに挑戦。惜しくも転倒したが、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)からの連続ジャンプで勢いに乗った。フリーは5位だったが、SPとの合計247・23点で銅メダルを獲得。一昨年10月の右ひざ靱帯(じんたい)断裂の大けがを乗り越え、この種目では欧米以外の選手として、1908年ロンドン大会以来初めて表彰台に立った。織田信成は7位、小塚崇彦は8位に入賞した。
演技を終えると、もう感極まった。4年間の苦闘の日々を凝縮した4分半が終わった。目を真っ赤にした高橋が、両手を4度、頭上に突き上げた。スタンドで無数の日の丸が揺れていた。総合得点は今季自己最高の247・23点。2人を残して2位。「(最終滑走の)プルシェンコは上に行くだろうと思った。その前に滑ったウィアはドキドキもので見ていた」。銅メダルが決まると、「安心感とうれしさで」自然と涙が出てきた。
SPはメダル圏内の3位。4位とは5点以上の差があった。それでも金メダルを目指して迷わず攻めた。「挑戦しなければ後悔する」と、冒頭で今季1度も成功していない4回転ジャンプに挑んだ。豪快に転倒して失敗した。決まれば10点以上を稼げる大技が、実質的には0点になった。しかし、そこから真骨頂を見せた。転倒直後に3回転半-2回転トーループを決めると、名作映画「道」の音楽に合わせて、迫真の演技力で道化師を演じた。
「頭を切り替えて次にいけた。ふだんから成功しても失敗しても影響のないように練習をしてきた」(高橋)。8位に終わった06年トリノ五輪後、栄光と挫折、そして復活と、目まぐるしく変わった4年間を乗り越えた経験も生きたのかもしれない。フリーは5位だったが、表現力を示す5項目の得点合計はトップ。失敗を取り戻した演技力が、銅メダルにつながった。
奇跡の復活だった。08年10月、練習中に右ひざの前十字靱帯(じんたい)断裂、内側半月板損傷という大けが。選手生命も危ぶまれた。1年前の今ごろは歩くのもやっと。心も乱れリハビリ生活から逃げ出した。母清登さんに「しんどい。誰か助けてくれないかな」と弱音を吐いた。長光歌子コーチは「スケートをやめてもいいと思っていた」という。リンクに立てたのは五輪開幕10カ月前の昨年4月だった。
「けがをしてからは、スケートをやめてからの人生にもプラスになるような経験をした。よくここまでたどりつけた」。銅メダルを首から下げた高橋は、喜びをかみしめ、しみじみとふり返った。
実はこの日、ジャンプコーチでもある02年ソルトレークシティー五輪4位の本田武史氏のスケート靴を履いて演技した。今年1月に本田氏に渡された。サイズは0・5センチ大きく、硬さも1ランク硬い。だが、毎日練習しているうちに、不思議となじんだ。あと1歩でメダルを逃した本田氏、そしてメダルに挑み続けた過去の同種目の代表選手たちの、思いも背負ってリンクで滑った。
07年世界選手権で日本男子初の銀メダルを獲得し、08年の4大陸選手権ではフリーで2度の4回転ジャンプを決めて、世界歴代最高の264・41をマークした。次々と歴史を塗り替えてきた男が、大きな挫折を乗り越えて、また新たな歴史を切り開いた。
「自分を褒めたい。この種目で初のメダルは誇りに思う。完ぺきではなかったけど、やり切ったという思いが強い。4回転を決めるのが理想。今回は失敗があったので、まだまだ強くなれる。銅メダルはこれから頑張るためのモチベーションになる」。“これが最後の五輪”の覚悟で臨んだ大舞台で、高橋が新たな目標を見つけた。【高田文太】
[2010年2月20日9時9分 紙面から]
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