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歴史の結晶高橋欧米の壁崩す/フィギュア

<バンクーバー五輪:男子フィギュアスケート>◇18日(日本時間19日)◇パシフィック・コロシアム

 高橋大輔(23=関大大学院)の銅メダルが、欧米がメダルを独占してきた男子五輪史に新たな歴史を刻んだ。1908年ロンドン五輪で正式種目に採用されて以来、初めて男子シングルで欧米人以外のメダリストになった。1932年レークプラシッド大会の同種目に2人の日本人が初出場して78年、長い挫折の歴史を人から人へと受けつぎ、ついに悲願の銅メダルにつなげた。

 高橋が欧米の壁に、穴をあけた。1908年、ロンドン五輪でフィギュア男子シングルが初めて採用されて以来、102年。過去22大会で延べ66人のメダリストが誕生したが、すべて欧米人(45人が欧州、21人が北米)だった。今大会を含めた69人目にやっと、日本の高橋が名を連ねた。歴史的な快挙だった。

 高橋の演技を、小塚のコーチを務める佐藤信夫さん(68)は、祈るような気持ちで見ていた。五輪のメダルは、日本の男子フィギュアにかかわる誰もが見た夢だった。「私たちが滑っていたころは、男子でメダルを取るっていうのは、まず無理だろうと話していた。本当に感慨深い。もちろん1人の努力ではなくて、支えてくれた人や積み重ねた結果だと思う」。

 日本男子の五輪挑戦史は、78年前にさかのぼる。1932年レークプラシッド大会に老松一吉、帯谷竜一が初出場。5・15事件があり、チャプリンが初来日した年だ。その4年後、片山敏一ら4人が参加した。佐藤氏は、2度目の五輪となった64年インスブルック大会で8位に入った。

 佐藤氏の現役時代、帯谷氏はジャッジを務め、コーチは片山氏。先人たちが支えてくれた。68年グルノーブル五輪に出場した小塚の父嗣彦さん(64)は、佐藤氏の母節子さんに指導を受けた。血を受けついだ小塚は、バンクーバー五輪に出場。ライバルとして高橋を刺激した。

 これまでの五輪最高位は4位。02年ソルトレークシティー大会で本田武史氏が、メダルに最接近した。その本田氏は、高橋にジャンプの指導をしている。人と人が絡み合い、1つのメダルに到達した。

 嗣彦さんは「欧米では、リンクがいつでも滑れる状態。日本ではアイスホッケー、ショートトラックにも使われるから、早朝や深夜にしか使えないこともある。(日本勢は)ハングリーにやってきましたから、この結果にようやくたどり着いた」と指摘する。女子シングルは92年アルベールビル五輪で伊藤みどりが銀メダル。あれから18年、男子でもついに歴史が動いた。

 欧米で発展した採点競技は、見栄えの点で手足の短い日本人はハンディを背負う。だが、先人たちの財産が受け継がれ、結果につながった。佐藤氏は言う。「確かに私も壁を感じていました。高橋くんのメダルは、すごいことだなと本当に思う。今の子どもたちの励みになります」。過去から現在、そして未来へ。意義あるメダルが、もたらされた。【佐々木一郎】

 [2010年2月20日9時23分 紙面から]


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