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紙面復刻:清水宏保快挙、獲ったぞ金

金メダルを獲得し喜ぶ清水宏保
金メダルを獲得し喜ぶ清水宏保

●1998年2月11日付の日刊スポーツから●

 圧倒的な強さに日本が震えた。泣いた。スピードスケート男子五百メートルで、日本のエース清水宏保(23=三協精機)が完全制覇で金メダルを獲得した。前日の1回目トップから、この日インスタートの2回目でも35秒59の五輪新記録で1位となり、合計1分11秒35で文句なしの優勝を飾った。日本スケート界にとって初の金、冬季五輪全競技でも個人金は、1972年(昭47)札幌大会ジャンプの笠谷幸生以来26年ぶり、史上二人目の快挙となった。

 金メダルを首に掲げてのウイニングラン、第1カーブ真ん中で、清水がこらえ切れず左手で顔を覆った。泣いた。カーブ出口のスタンド最前列に、母津江子さん(59)が待っている。「今は、母にも、そして父にも言葉が見つからない……」。スタンドの大歓声が、数千本の日の丸のはためきが、喜びを共有した。

 金メダルは、清水に最後まで試練を与えた。16組で転倒者が担架で運ばれ、レースが中断。続く17組で2度、18組では3度スタートのやり直しがあった。20組の清水の出番に向け、最高潮に達しかけたムードが沈みかけた。しかし「自分の間合いになったと思った」。大観衆が見つめる中、リンク内側で大の字になるほどの強心臓ぶりを発揮した。

 スタート前の電光掲示板には、清水が優勝へクリアすべきタイム36秒08が表示されていた。目もくれなかった。100メートルを9秒54で通過した。2番手の選手が9秒78、持ち味の弾丸スタートがさえた。守りの姿勢はなかった。「初日が完全じゃなかった。最高のレースをして断トツの優勝を決めたかった」。勝とうとして勝った。こんな日本人がいたのか。日本中が清水のたくましさに目を見張り、感動と涙の輪が広がった。

 逃げ出したくなるような緊張も「最終コーナーで、これが今回の五輪五百メートル最後のコーナーなんだ。そう考えて滑った」。レース後の外国報道陣の質問に力強く言い放った。「日本選手は小さくて、なかでも自分は一番小さい。でも信念を持ってやればできる。皆さんに伝えられたと思う」。

 信念は、父と母から学んだ。五輪を一緒に夢見た父均さん(故人、享年56)は、体の小さい息子に人一倍の努力を強いた。弾丸スタートを生み出す65センチの太ももは、父とともにつくり上げた。母は、父亡き後、大型特殊車両を運転し家計を支えた。小、中、高校と入学するたびに「体が小さいからスケートを続けても無駄」と周囲から言われ、そのたびに発奮材料にした。

 レース後がっちり抱き合った黒岩敏(92年アルベールビル大会銀)は、高校3年時、五輪を目指していたころの目標だった。日記には「敏幸先輩を追い越せ」が決まって書かれていた。高校の2年先輩でもある堀井は最大のライバル、負けて涙を流したこともあった。すべてをバネにした。

 表彰台では2、3位に入った長身のウォザースプーン(191センチ)オーバーランド(184センチ)のカナダ勢と、頭の位置は変わらなかった。しかし紛れもなく頂点だ。次は15日、千メートルがある。【大滝貴由樹】

 [2010年2月16日14時23分]


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