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福島のり子(上)「採用」で人生変わった

2009年10月20日

 10年バンクーバー五輪で、スキークロスが新種目として採用される。日本女子の第一人者・福島のり子(30=ICI石井スポーツ)は、アルペンスキーの選手だったが、スキークロスに出会った。06年の国際オリンピック委員会(IOC)理事会で、五輪の正式種目に決まり、福島の人生も変わった。
 福島は今、スイスの小さな村サースフェーにいる。12月のW杯初戦に備え、雪上で滑り込んでいる。こうして五輪を目指せるのも、あの日の「決定」があったからだ。
 06年11月28日、クウェートで行われたIOC理事会。バンクーバー五輪から、スキークロスが正式種目になることが決まった。このニュースを福島は知人からの電話で知った。「は? うそだぁ」と最初は信じられなかった。電話を切ると、1人暮らししていた都内の部屋で泣いた。その日のブログに「涙で前が見えません」と書いた。
 もともと、五輪を目指してスキークロスを始めたわけでない。アルペンの日本トップ選手で、日大4年だった02年に、友人に誘われてスキークロスの国内大会に出た。「楽しそうだし、時間があるから、出てみようかな」と気楽な気持ちで臨んだところ、その面白さに取りつかれた。
 福島 スタートのゲートに入った時の気持ちの高ぶりが半端じゃなかった。アドレナリンが出る感覚を初めて得たのが、その大会だったんです。すごい面白くて、子どもの時の楽しかった感覚が、バーッとよみがえってきました。
 初参戦で初優勝。翌03年は、アルペンでアジア大会3位、ユニバーシアード6位などの成績も残したが、世界トップとのカベを感じ、スキークロスに軸足を移した。04年に初めて出た国際大会も1ケタ順位を確保し、世界で戦える手応えをつかんだ。
 06年トリノ五輪では、スノーボードクロスが新種目となった。同じコースを使えるスキークロスも五輪へ、という機運が高まった。選手の間で、署名運動が起きた。福島にもメールが来て、海外のサイトにアクセスし、賛同する1人として名前を打ち込んだ。そして、今がある。
 もし五輪種目になっていなかったら? 「どうしてたんでしょうかね。どこかの世界選手権を区切りに辞めていたかもしれないですね」と福島。女子ジャンプは正式種目への採用が見送られ、先駆者だった山田いずみさんは今年3月、30歳で現役を退いた。
 福島 このタイミングでこの競技に出会えて、現役でいられるのは運がいい。自分が現役を辞めてから五輪種目になることほど、悔しいことはないですから。今はラッキーだったとしか言えませんね。
 五輪を目指せる喜びを胸に、福島は雪上に立ち続けている。【佐々木一郎】

 ◆福島のり子(ふくしま・のりこ) 1979年(昭54)10月18日、長野・白馬村生まれ。ICI石井スポーツ所属。3歳からスキーを始める。白馬高-日大とアルペンの選手として活躍したが、大学4年時にスキークロスと出会う。W杯総合ランクの最高は、07―08年シーズンの5位。家族は両親。160センチ、54キロ。

 ◆スキークロス 全長1キロ程度のコースを、4人または6人の選手が同時にスタート。バンクやウエーブ、ジャンプなどをクリアしながらゴールを競う。トーナメント形式で行う。W杯は02~03年シーズンから実施され、世界選手権では05年から採用されている。


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