モーグルと出会った運命の地カナダ/上村愛子1
2010年1月19日
女子モーグルの上村愛子(30=北野建設)は数々の転機を乗り越えながら、バンクーバー五輪にたどり着いた。初出場の98年長野五輪は7位、02年ソルトレークシティー五輪は6位、06年トリノ五輪は5位。1歩ずつ階段を上ってきた上村の競技人生を、転機とともに振り返る。1回目は、バンクーバーへ運命的につながっていたモーグルとの出会いに注目した。
上村は今、W杯を転戦するため、米国にいる。21日のレークプラシッド大会を終えると、一時帰国し、あとは五輪を迎えるだけ。これまで3度の五輪に出場し、すべて入賞した。だが、メダルに手が届かなかった。そのたび、悩み、苦しんだ。そんな日々は、バンクーバーのためにあったのではないかとさえ、今は思っている。
- 09年3月8日付本紙 五輪決定
「母親ともそういう話になります。今までのオリンピックで、期待されながらメダルを取れなかったのも、ここにつながっているんじゃないかって…」。モーグルに出会ったのは、今から16年前、中2の時だった。その場所は、バンクーバーから近いカナダ・ブラッコム。運命と感じるのも無理はない。
もともと、アルペンスキーの選手だった。小1の時、長野・白馬村へ引っ越し、スキーを始めた。中学に入るとスキー部に入ったが、いじめが悪化し、中1の時に退部した。その1年後、「日本にいても、ダラダラするだけだから、本場のカナダに行ってきなさい」と、母・圭子さんに勧められて94年1月、1人で旅行した。
現地でたまたま観戦したのが、モーグルのW杯ブラッコム大会。「私はあんなコブをまっすぐ滑れるわけがないと思っていたのに、世の中にはこんなコブを滑る人がいるんだと驚かされました。私は人と違うことをやりたい性格。『こんなのは見たことがない』というのが始まりですね」。帰国後、母に「私、モーグルやるから」と告げた。
当時、長野五輪を4年後に控え、長野県スキー連盟もモーグルの選手育成に積極的だったというタイミングもぴったり合った。「ラッキーだったんです。だから運命的なものを感じるんだと思います」。今や上村は、世界屈指のターン技術を売りにし、コブをまっすぐ攻めてくるスタイルが武器になった。アルペンの下地が、モーグルにつながっている。
「アルペンスキーは6年やって、自分に1番になれる才能があるとは思えなかった」と振り返る当時の少女は、三十路(みそじ)を迎えた今、モーグルで1番を狙える位置まで来た。(つづく)【佐々木一郎】
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