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エースの心と体は痛んでいた/上村愛子3

2010年1月21日

 出場できた喜びにあふれ、楽しかった思い出の98年長野五輪から4年。02年ソルトレークシティー五輪で、上村愛子は6位だった。順位を1つ上げたが、ほろ苦い思い出ばかりが残る。白馬高3年でアイドル的存在だった長野五輪の時とは、立場が変わっていた。99年以降の実績では金メダリストの里谷を上回り、日本のエースとして、メダルを期待されて臨んだ五輪だった。

 W杯総合順位は97-98年28位、98-99年6位、99-00年4位、00-01年2位と着実に上昇し、01年世界選手権は銅メダル。だが数字とは逆に、心と体は痛んでいた。外反母趾(ぼし)に苦しみ、ヒザや腰が痛んだ。まだ22歳だったが、将来について思い悩む時期もあった。「これ(ソルトレークシティー五輪)を超えて次ってのは考えていない。年齢的にも技術的にも最高の演技ができる舞台と確信してます」。五輪シーズン序盤には、こう漏らしたこともあった。

上村愛子
02年ソルトレークシティー五輪、6位に終わり涙を流す上村

 五輪のレースは、やれるだけのことはやった。順位が表示されると、会場から「もっと点を出すべき」という意味のブーイングが起きた。ただ1つ、第1エアの着地でバランスを崩したことが採点に響いた。4年後の06年トリノ五輪について聞かれると「元気だったら帰ってきたいですね」と答えた。ショックが大きく、即座にはリベンジを誓えなかった。

 レースから4日後に帰国。その2日後には、雪の上に立っていた。「突然、どうしても今すぐ滑りたくなった」。車を飛ばして長野・飯綱高原「里谷多英コース」に向かった。プレッシャーから解放され、昼からノビノビと滑った。スキーを楽しむ原点に戻り、4年後への意欲がもう、わき始めていた。(つづく)


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冬のヒロイン
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バンクーバー五輪代表の女性アスリートを取り上げた日刊スポーツ紙面連載です。

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