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競技人生変えた「世界中の手本」/上村愛子6

2010年1月24日

 06年トリノ五輪後、上村愛子は、競技人生を左右する出会いに恵まれた。同年6月、ヤンネ・ラハテラ氏(フィンランド)が全日本チームのコーチに就任することが決まった。同氏は98年長野五輪銀メダル、02年ソルトレークシティー五輪金メダル、W杯通算25勝のカリスマ。トリノ五輪は16位に終わり、現役を引退した。上村にとって、あこがれの存在だった。

 「ヤンネさんは、スキーが上手にならないと、コブの中でもうまくならないという考えの人。派手なことは言わないけど、一番大切なものはこれですよ、と常に教えてくれる」。基本を見直し、バンクーバー五輪を目指そうとしていた上村には、適任のコーチだった。世界中の手本といわれたラハテラ・コーチのターン技術を身に付け、徐々に自信が戻ってきた。

上村愛子
合宿をともにする上村愛子(右)とラハテラ氏(左)。中央は伊藤みき

 06-07年シーズンは、左ひざのケガで振るわなかったが、地道な体作りと、ラハテラ直伝のターンは、翌07-08年シーズンに花開く。08年2月のW杯猪苗代大会で、3年ぶりの優勝を果たすと一気に5連勝。W杯種目別総合優勝を決めた。スキー競技では、ノルディック複合の荻原健司氏らに続いて、日本人6人目。高野ヘッドコーチは「欧米主流の種目にあって、日本人が総合優勝したのは快挙。例えるならサッカーのセリエAで得点王に輝いたようなもの」と絶賛した。

 次のシーズンもW杯で2勝し09年3月の世界選手権は2冠に輝いた。「ヤンネさんがいなかったら? 総合優勝も、5連勝もなかなかない。地元の世界選手権で願っていたものをつかみにいける強さは、ヤンネさんと会わなければ、持っていないかもしれない」。

 山あり谷ありのスキー人生は、大きな山を迎えたまま、五輪シーズンに突入しようとしていた。(つづく)【佐々木一郎】


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冬のヒロイン
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バンクーバー五輪代表の女性アスリートを取り上げた日刊スポーツ紙面連載です。

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