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「異次元」に特例論議/浅田真央1

2010年1月26日

 国際スケート連盟(ISU)の年齢制限に87日だけ足りず、出場できなかった06年トリノ五輪から4年。フィギュアスケート女子の浅田真央(19=中京大)は、金メダル候補として初めての五輪を迎える。あどけなさの残る顔で、華々しくシニアの国際大会にデビューした05年シーズンから今季まで、どんな道のりを歩んできたのか? あらためて全15回の連載で振り返る。

 「五輪はやっぱり金メダルがいいと思う。初めての五輪で思い切り楽しみたい」。昨年12月の全日本選手権で五輪出場を決めた浅田は、会心の笑みを浮かべた。4シーズン前の05年11月から、シニアの国際大会に出場し、ようやく五輪の舞台に立つ。4年は長かったか? と聞かれると「すごく早かった」と即答した。

 4シーズン前、当時15歳の浅田のサイズは158センチ、38キロ。今シーズンよりも身長は5センチ低く、体重は12キロ軽かった。全身がバネのようにぴょんぴょんと跳びはね、女子では世界で数人しか跳んだことのないトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を難なく決めた。シニアの国際大会デビュー戦となった05年11月の中国杯では2位。直後のフランス杯では、約3カ月後のトリノ五輪で金メダルを獲得する荒川静香らを退けて優勝した。

浅田真央
05年GPファイナル 左から銀メダルのスルツカヤ、金の浅田、銅の中野

 ISUは五輪出場の年齢について「五輪前年の7月1日までに15歳」と規定している。9月25日生まれの名古屋・高針台中3年生の浅田は、年齢制限に87日足りず、トリノ五輪には出場できないと分かってはいた。しかし、天才少女の出現に待望論や同情論がわき起こった。米テレビの3大ネットワークの1つ、ABCは、夜のニュースで浅田が五輪に出場できないことに疑問を投げ掛けるなど、波紋は徐々に広がっていった。

 そんな騒動とは関係なく、浅田の勢いは止まらなかった。初出場した05年12月のGPファイナル(東京)では、当時の世界女王で、2位に終わったスルツカヤ(ロシア)をフリーで逆転して優勝した。この年の2月の世界ジュニア選手権で優勝していたとはいえ、積み重ねた実績に応じて得点が底上げされていくフィギュア界で、シニア大会3試合目での世界一は異例中の異例。それほど浅田の滑り、特にジャンプの高さと精度は“異次元”だった。

 ISUのチンクアンタ会長は、GPファイナルの会場・代々木第1体育館でわざわざ会見を開き、「個人的には浅田をトリノで見たい。でも、会長としては別です。規則は規則」と、特例措置はないと明言。浅田の五輪出場をめぐる論争に終止符を打とうとした。(つづく)【高田文太】


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バンクーバー五輪代表の女性アスリートを取り上げた日刊スポーツ紙面連載です。

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