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小泉首相「出てもらった方が」/浅田真央2

2010年1月27日

 15歳の浅田真央は、05年12月のGPファイナル(東京)を制して、トリノ五輪を前に世界の頂点に立った。「残念ですが、10年のバンクーバー五輪を目指して頑張ります」。本人はもちろん、当時の山田満知子コーチもトリノ五輪出場はまったく頭にはなかった。しかし、浅田の五輪出場をめぐる国内の騒動はなかなか収束しなかった。

 当時の小泉首相が「あれだけ見事な演技だから優秀な人にはどんどん出てもらった方が五輪も盛り上がると思う」と話し、日本オリンピック委員会の竹田会長は「日本スケート連盟から要望があれば国際オリンピック委員会への対応などを考える」と発言した。「真央ちゃんを選ぶべきだ」「何とかならないのか」…。年末の全日本選手権を最終選考会と位置付ける日本スケート連盟が、五輪代表をまだ決めていなかったこともあって、都内の連盟事務局の電話は鳴りやまず、通常業務に支障が出るほどだった。

浅田真央
05年全日本選手権、優勝した村主(中央)と2位浅田(右)3位荒川

 「トリノは(頭に)ない。バンクーバーはあるけど」と、のびのびと全日本選手権に臨んだ浅田は、女子としては世界で初めてトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を2度決めて、村主章枝に続く2位に入った。トリノ五輪の代表には村主、3位の荒川静香と6位の安藤美姫が選ばれた。

 06年2月24日、荒川の五輪金メダルが決まると関係者を通じてコメントを発表した。「家族と一緒に、自宅で観戦しました。昨年、世界ジュニア選手権で一緒になった選手も多く出場していたので、そのことを思い出しながら見ていました。大舞台で力を発揮するということは、やはり大変なことだと思います。荒川さん、優勝おめでとうございました」。4年後は私が取りたい-。浅田は金メダルへの思いを強くした。(つづく)【高田文太】


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冬のヒロイン
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バンクーバー五輪代表の女性アスリートを取り上げた日刊スポーツ紙面連載です。

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