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言葉の壁、慣れぬ環境…情緒不安定/浅田真央4

2010年1月29日

 山田満知子コーチから離れ、練習時間確保のため、拠点を米国に移した06-07年シーズン。シニアの国際大会に参戦2年目の浅田真央は、好不調の波が激しかった。

 初戦スケートアメリカのショートプログラム(SP)で68・84点と、自己ベストをマークした。だが、フリーではトリプルアクセル(3回転半)が1回転半となるなどミスが続き、フリーはシニアの国際大会で自己最低の102・39点。ジュニア時代を含めて、国際大会では1位と2位しかなかった浅田は初めて3位に転落した。「勝ちを意識したかも。今後、このようなことがないように頑張りたい」。追われる立場の重圧を経験し、トレードマークの笑顔が消えるほど不満の残る滑りだった。

浅田真央
06年12月16日、GPファイナル女子フリーで転倒した浅田真央(AP)

 約1カ月後のNHK杯(長野)では、見違えるような演技を披露した。SP、フリーとも自己ベストを更新する1位で完全優勝。総合199・06点という、当時の世界歴代最高得点をマークした。前年優勝したGPファイナル出場に黄色信号が点灯して迎えた大会。「ここまで追い込まれることはなかった。いい経験。ちょっとは成長したかな」と、重圧を感じながらの滑りを振り返った。

 だが、2週間後のGPファイナル(ロシア)では、SP1位で迎えたフリーでジャンプのミスを連発した。得点が出てから30秒以上たっても席を立たず、凍り付いた表情で座り込んだ。この年の3月の世界ジュニア選手権で敗れたライバル金妍児(韓国)に逆転されて2位に終わり、GPファイナル2連覇を逃した。

 シーズンを通じて、初の外国人コーチとして迎えたラファエル・アルトゥニアン氏(ロシア)の指導を受けた。言葉の壁や慣れない環境で情緒が不安定になっていた内面を表すように、浅田の演技は安定感を欠いていた。(つづく)【高田文太】


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バンクーバー五輪代表の女性アスリートを取り上げた日刊スポーツ紙面連載です。

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