ルッツ、SP苦手意識の始まり/浅田真央6
2010年2月02日
シニア転向3年目の07-08年シーズン序盤、浅田真央はまた泣いた。06-07年シーズン後半には、全日本選手権の初優勝でうれし泣きし、世界選手権(ロシア)の銀メダルで悔し泣きしたが、07年11月、シーズン2戦目のフランス杯で見せた涙は、そのどちらとも意味合いが違っていた。
2週間前のスケートカナダを逆転優勝して迎えた、フランス杯ショートプログラム(SP)で首位に立った。だが、シニア国際大会自己ワーストの56・90点を伝える電光掲示板を見て、ぼうぜんとしたまま立ち上がれず、涙が止まらなくなった。「自分の持っているものが出せなかった」。2連続3回転の後半ジャンプが回転不足となる2大会連続のミスで、SPの自己ワースト得点。悔しさとは違う、自分自身のふがいなさに涙が出た。
このシーズンから、長く浅田を苦しめることになるルール改正が行われた。それまでより、ジャンプの踏み切りの採点が厳格化された。中でもルッツとフリップのエッジ(刃)の使い方に浅田は悩んだ。ルッツとフリップの違いは、踏み切る際のエッジの向きが、外側か内側かの違いだけ。幼少からの癖でルッツがフリップのようになる傾向のあった浅田は、これを気にしすぎていた。
フランス杯とスケートカナダでは、3回転ルッツがともに「踏み切り違反」とみなされ減点された。12月のGPファイナル(トリノ)では、それに意識が向きすぎて助走となる直前のステップでつまずき、3回転ルッツそのものに挑むこともできなかった。基礎点6点の3回転ルッツが0点になり「全然駄目でした。どうしてだか分からない」。シニアデビュー以来初めてのSP最下位(6位)に動揺した。
何とかフリーで盛り返して2位となったが、金妍児(韓国)の2連覇を許した。今も続くルッツとSPへの苦手意識の始まりだった。(つづく)【高田文太】
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