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あきらめず総合力でカバー/浅田真央7

2010年2月03日

 ジャンプの踏み切りの採点が厳格化された07-08年シーズン、浅田真央はルール改正に苦しみながらも、08年3月の世界選手権(スウェーデン)で初優勝した。シーズン序盤は出遅れが目立ったショートプログラム(SP)で2位につけてフリーで逆転。目を潤ませ「すごく、すごくうれしい。すごく良い思い出になりました」と興奮気味に話した。

 ルッツの踏み切りがフリップのようになる悪癖は直らず、この大会のSPでも、フリーでも減点された。さらにフリーでは冒頭のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳ぶ直前に、左足を氷にとられてスライディングのような転倒。決まれば高得点の大技が0点に終わり「もうダメだとも思いました」。だが、その後はほぼミスなく演じた。表現力を示す5項目の得点の合計は、全選手トップと総合力で制した。

 大会前の2月には、初の外国人コーチとして迎えた、ロシア人のアルトゥニアン氏との師弟関係を解消していた。言葉のカベや、慣れない海外生活による心労が要因だった。練習時間を確保するため、06-07年シーズンに米国に拠点を移したが、07年5月には中京大にフィギュアスケート専用リンクが完成。当時、中京大中京高2年の浅田が、練習に専念できる環境が整い、米国に出向く必要はなくなっていた。

 2月下旬には練習中に左足首をねんざして1週間ほどジャンプ練習ができなくなったが、コーチ不在の中、1人で練習。ルール改正によるルッツへの苦手意識や減点を、総合力でカバーすることを学んだ。「今回は3回転半を失敗したけど、あきらめないこと(の大切さ)を感じた」。悔し涙の銀メダルから1年。ライバルの金妍児(韓国)を3位に退けて初めて世界選手権を制し、浅田は自信を取り戻した。(つづく)【高田文太】


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冬のヒロイン
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バンクーバー五輪代表の女性アスリートを取り上げた日刊スポーツ紙面連載です。

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