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及川佑(下)父から受け継ぐ“大器晩成”

2009年8月06日

 及川佑(28)は先月、北海道中札内村の実家に帰省した際、両親に言った。
 「あの時にやったこと、今に生きているのかな」。
 5月。各競技のバンクーバー五輪の候補選手らが集まった合同合宿。フィギュアスケートやジャンプなど跳躍を得意とする選手もいる中、及川は体力測定の立ち幅跳びで3メートル15センチをマークした。味の素ナショナルトレーニングセンターが夏季競技も含めた500人以上を測定した中でトップ。周囲の選手はどよめいた。
 もともと、抜群の身体能力があったわけではない。及川が「あの時」と振り返る小学校時代、父準さん(58)から毎日特訓を受けた。朝、そして学校から帰ってから、腕立てやスクワットなどを命じられた。逆らうことはできなかった。
 及川 ある時、蛍光灯から垂れているヒモにジャンプして触るというメニューがあった。自分には絶対に届かない高さで、夕方6時から夜の11時まで挑んだ記憶がある。それでもできなくて、最後は怒った父に屋根裏部屋に入れられた。でも次の日の朝、飛んだら触れた。父が寝ている間に、ヒモを長くしてくれていたんです(笑)
 準さんは、その意図をこう説明する。「自分で目標をクリアするという達成感を持たせたかった。でも(特訓は)小学生の6年間だけ。そこまでは親が引っ張るが、中学生になったら自分で決めないといけない」。特訓は期間限定で、あとは息子の自覚に委ねた。
 6年間の成果がすぐに現れたわけではない。及川は体が小さく、高校入学時も身長150センチほど。高校も全国で目立った成績は残せず、大学も4年時のインカレ優勝まで無名に近かった。それでも準さんから「オレも社会人から伸びたんだからお前も伸びるよ」と励まされた。
 大器晩成の“血”は父から受け継いだ。準さんは平均25歳ぐらいの地元の野球チームで52歳まで現役を続け、勤務する郵便局の全国大会にも出場した。トレーニングも欠かさず、腕相撲は今も1度も息子に負けたことがないという。及川が帰省すると、準さんはダンベルを見せつけるように持ち上げる。「何歳になっても成長できる」。そんな父の思いを受け止めることが、親子の会話でもある。
 及川は尊敬する人に両親を挙げる。「何をやってもかないません。両親から言われたり、しかられたことは、後々に活きてきたから」。メダル獲得は、すべてに報いる最高の親孝行だ。2大会連続の五輪に向け、ちょうど今、開催地のバンクーバーで代表合宿に参加中。「あの時」の鍛錬や教えを土台に、さらなる高みを目指している。【広重竜太郎】

 ◆及川のトリノ五輪VTR 男子500メートルに出場。1本目は微妙なフライングを取られるも、35秒35の好タイムで4位。2回目は35秒21で残り2組の時点で首位。だが、次の組の1人と、最終組の2人に抜かれ、メダルは逃した。加藤と清水の不振を尻目に「ロケットスタート」の威力は十分に見せつけた。


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