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石井和男監督(下)進化遂げたソリと選手

2009年8月13日

 06年トリノ五輪後、日本男子ボブスレーのソリは年々、進化を遂げた。氷上を滑る時の衝撃音は格段に小さくなった。ハンドルを操作する際も車体の反応が変わった。以前は車のハンドルのように「遊び」の部分が多かったが、今はわずかな動きで、操縦役のパイロットの意向に瞬時に応える。時速130~140キロの世界で戦う競技では、大きな進歩だ。
 昨季はW杯より格下のアメリカズ杯を転戦し、安定した成績を残した。最終戦で2位とシーズン最高成績を挙げて2人乗りで世界ランク30位以内に入り、今季からのW杯出場権を獲得。外国勢も日本の急激な躍進に目を見張った。「あれは、どこ製のソリだ?」。石井和男監督は質問攻めにされた。大会サイドからはソリの車体検査を何度も受けるようになった。世界で戦えるソリに成長した証だった。
 成長したのはソリだけではない。選手も変わった。石井監督が言う。「これまでチームワークがバラバラだった。パイロットがブレーカー(押し役)よりも偉いという風潮があった」。以前はソリをガレージに片付ける時も、2時間かかるランナー(刃)の磨きも、周囲は気を使ってパイロットにはさせなかった。
 石井監督が“新しい”エースパイロットに据えたのは、94年リレハンメル五輪から3大会連続で出場した鈴木寛(35=マネックスFX)だった。06年トリノ五輪で落選し、所属先を失って引退の意向を固めていた。
 だが鈴木は現役時代、後輩だった石井監督から慰留され、思いとどまった。滑りについて意見された数少ない選手が、ブレーカーだった現役時代の石井監督だった。「石井君が監督になるのは大きかった。『僕が強くします。変えます』と言われて決めた」。
 石井監督からは「1番、面倒くさい仕事を率先してほしい。そうすればみんな、ついてくる」と言われた。鈴木自身、「完全分業制でパイロットはコントロールするだけ」という時代を生きてきたが、変化を受け入れた。「ブレーカーはソリの後に乗っていて悪い感覚だったら言うべきだし、パイロットも聞くべき。垣根をなくすことが大事だと思った」。大ベテランは自ら階段を下りて、後輩たちとコミュニケーションを取るようになった。 過去の五輪では男子2人乗りは15位、同4人乗りは12位が過去最高。それでも現場の目標は高い。石井監督は「メダルを取るためにどうするか、逆算して目標に向かう」と言い、鈴木も「メダルを目指す。これまでの五輪は上積みを感じなかった。でも今はきっかけがあればガラリと変わる」と自信を見せる。人とソリが一体となったバンクーバー五輪で、新たな歴史をつくる可能性を秘めている。【広重竜太郎】


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