里谷多英(下)メダルにつながった集中力
2009年8月20日
五輪なると、目が覚める。里谷多英(33=フジテレビ)は、こう評される。98年長野五輪で、スキー競技の日本女子初となる金メダルを獲得。02年ソルトレークシティ五輪は銅メダルに輝いた。日本スキー界で、五輪メダルを複数持つ選手は、里谷しかいない。一方で、W杯の表彰台は9度(うち優勝は2度)しかない。五輪での強さが際立っている。
「分かんないです。何でですかね」とはいうが、大一番で抜群の集中力を発揮してきたことは間違いない。その一助は、97年7月に死去した父昌昭さん(享年54)の言葉がある。
里谷 国内の大会で悔しがるとすごい怒られました。「お前は、あの人の滑りを目指しているのか? お前が目指す滑りは、近くの人の滑りじゃない」って。五輪の時、私は周りが気にならなくなる時があります。自分が100%の滑りをするためには、この人の滑りは関係ないって、自然に思える時があるんですよ。大きい大会の時は、特に。
常に前を見て、過去の栄光にすがらない。だから、五輪のメダルはもちろん、これまで取ったトロフィーや表彰状のたぐいは、北海道の実家に一切飾っていない。もともと、物理的な「モノ」が欲しくて頑張っているわけでもない。
里谷 もうこれでやめようと思って出た試合で、やっぱり悔しいと思ったりする。もっとできたとか、まだうまくなっていると思う時がある。伸びている部分を自分で感じると、まだやりたいと思うんです。練習でも昨日よりうまいと思っただけで楽しい。五輪ばかり意識しているわけじゃないけど、自分が伸びることができる場所が、そこにあるという感じなんです。
今も昔も、特別に練習熱心なタイプではない。「ふまじめというか、面倒くさがり。疲れてくると、すぐ妥協しちゃう。『やろう、やろう』と言っても、『やっぱり、寝よう』ってなっちゃう」。良く言えば自然体でマイペースなのだが、少しずつ、自己改革も進んでいる。
里谷 今は一番(全日本チームで)年上だけど、集合時間には地道に一番最初に行ったりします。休まないし、時間に遅れない。オサムちゃん(7歳年下の上野修)に「いっつも早いですね」と言われました。「遅れないことにしたんだよね」って言ったら「じゃあ、遅れたら焼き肉おごってくださいね」って言われました。1回くらい遅れているかもしれないけど、いつも10分くらい前に行ってる。くだらないことだけど、くせになりましたね。
里谷は今、全日本チームの合宿で、オーストラリアにいる。バンクーバー五輪代表には、まだ内定していないが、父の教えの通り、世界の先を見ている。「上から目線でいうわけじゃないですが、もう勝手に、五輪でどうしようとか、そういう考え方になっています」。【佐々木一郎】
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