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藤本貴大(上)「あんなレース」はしない

2009年8月25日

 ショートトラック男子の藤本貴大(24=セルモ)は、初出場した06年トリノ五輪の5000メートルリレーで転倒し、後続を妨害したとして失格になった。痛恨の失敗を引きずって帰国すると、容赦ない批判の言葉が耳に届いた。そんな苦い経験を生かし、どうバンクーバー五輪へ向かおうとしているのか。
 「税金使ってあんなレースして、何やってるんだ」。藤本の胸には、そんな言葉が深く刻まれている。
 3年半前。「こんなことを言われてたぞ」。初出場の五輪を終えて帰国した藤本は、父勉さんから1本のビデオテープを手渡された。そこには、トリノ五輪での藤本のレースを伝えるテレビ番組で、冒頭のような言葉を吐き捨てるように言う、見ず知らずの男性が映っていた。熊本県出身者として初めてで、「歴代最南端」の冬季五輪代表。地元での期待は大きいと分かっていた。だが、税金泥棒呼ばわりされていたとは夢にも思わなかった。見返したい-。強くそう思った。
 「あんなレース」とは、06年2月15日、トリノ五輪で藤本が唯一出場した5000メートルリレー予選のことだ。予選2組目のレース中盤、4チーム中4番手で滑っていたときだった。「前に出ろ」というコーチの指示を受けた藤本は直後のコーナーで仕掛けた。決勝に進出できる2番手まで一気に上がろうと、インから突っ込んだが、直後に転倒した。すぐに起き上がって前を追ったが、競技終了後、後続のイタリアを巻き込んで妨害したとして、日本は失格となった。
 純粋な速さを競うスピードスケートとは違い、複数の選手が同時に滑るショートトラックは、選手同士のレース中の接触が認められている。その際の駆け引きが成績を左右するが、当時、男子代表最年少の20歳の藤本は、駆け引きについてはまだ未熟だった。「申し訳ない気持ちでいっぱいになった」。こらえきれず、涙が止まらなかった。
 あのときの映像は繰り返し見直している。今も、ときどき見ることがある。「今見ると、あの突っ込みはない。緊張はなかったけど(周りの)景色が見えていなかったし、視野が狭かった。あれはミスです」。バンクーバー五輪に向け、滑走中の視野を広げようとレースへの臨み方を変えた。各選手の仕掛けるタイミングを研究し、他の選手のコーチの指示や動きを見るようにした。「敵のコーチの指示も聞こえると『こいつ来る』と分かる。仕掛けた選手を1度ブロックしたら、ものすごいアドバンテージになる。ブロックされると、その選手は余力がなくなって終わるから。今は周りの選手の滑っている足音が聞こえる」。
 視野が広がってくると成績も伸びてきた。昨季は、10月のW杯開幕戦ソルトレークシティー大会で500メートル4位。今年3月の世界選手権(ウィーン)では、因縁の男子5000メートルリレーメンバーとして日本勢9年ぶりのメダル(銅)を獲得した。今や、94年リレハンメル五輪から4大会連続で五輪に出場した寺尾悟と肩を並べるほどの実力だ。
 この1年間は、遠征を含め、これまでの2倍以上、約300日間の合宿生活を続けてきた。先週の19日には、約1カ月間の米国合宿から帰国。氷上の滑り込みだけでなく、苦手だった陸上でもじっくり走り込んで、手応えをつかんだ。「年齢的には落ちるはずなのにむしろ上がっている」と笑みを浮かべる。「あんなレース」は2度としない-。今の藤本には、そう言い切るだけの揺るぎない自信がある。

 ◆藤本貴大(ふじもと・たかひろ)1985年(昭60)3月13日、熊本・西合志町(現合志市)生まれ。生後間もなく引っ越した北海道・帯広市で3歳からスケートを始める。山梨学院大3年時の06年にトリノ五輪に出場。同年の世界選手権初出場し、W杯韓国大会500メートルで2位。得意種目は500メートル。170センチ、63キロ。


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