高橋大輔(上)重傷乗り越え心も体も成長
2009年9月02日
フィギュアスケート男子のエース高橋大輔(23=関大大学院)が、たくましさを増して戻ってきた。07年の世界選手権で日本男子初の銀メダルを獲得したが、昨季は右ひざの大けがで大会への出場はなし。バンクーバー五輪に向けて、どんなリハビリ生活を送ったのか。再発の不安はないのか。先月下旬のアイスショーで復帰した直後、本人からじっくり話を聞いた。
8月22日。高橋は新横浜スケートセンターのリンクで、356日ぶりに観客の前に立つと、2000人を超える観衆から万雷の歓声と拍手で迎えられた。
高橋 歓声を聞いた時、これが『僕が待っていたものなんだ』と再確認したんです。拍手がこれほど気持ちがいいものなんて、しばらく忘れていた感覚でした。興奮していたのか緊張していたのか、前の日は午前3~4時まで眠れなくて。ショーが始まる前に楽屋で寝てしまいました。
「DJ OKAWARI」の楽曲「Luv Letter」が流れる。3日前に完成した今季のエキシビションの演技が始まった。
高橋 氷の上に立って振り(演技)が始まった時、手がすごく震えている自分に気がついたんです。こんなに緊張したのかと思うほど緊張しました。この曲も、今までのとは違って、しっとりとしたナンバーですし、慣れていないこともあって。でも演技が始まったら、自分がやっと戻ってきたぞ、というのを見せたいと思いました。
フリップとルッツの3回転ジャンプを2度跳び、着氷にも成功した。演技を終えると、埋め尽くした観客が総立ちになっていた。
高橋 ちょっと僕の方が感動してしまった。試合に出られないとなってからジャンプを跳び始めるまで、すごく長く感じられたから。
昨年の10月31日。シーズン初戦の中国GPに向け国内で最終調整をしていた。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳び着氷した瞬間、右ひざがあらぬ方向を向いた。 高橋 降り方がおかしかったのに、着氷で逆に踏ん張っちゃったんです。まだ転倒すれば良かったんですが…。でも最初は痛っ、て思っただけ。ちょっと力が入らないな、と思ったけど、滑れたので、特に心配はしていなかったんです。
重傷だと分かったのは2日後だった。
高橋 次の日は練習が休みで、遊びに行く約束をしてたんです。遊びに行っても、痛いな、痛いなって思ってて。その次の日、起きたらもっと腫れていました。トレーナーの方に電話して来てもらったら『これはやばいんじゃない』って言われました。その日は日曜で、エックス線を撮れる病院を探すのもひと苦労でした。
精密検査の結果、前十字靱帯(じんたい)断裂、内側半月板損傷が判明。11月26日に手術を受け、そのまま1カ月間、入院した。
高橋 手術は迷ったんですけど、主治医の先生が『ラグビーでも、同じけがをした選手が手術で普通に戦えるようになっている』と自信満々に言われて。『このままでは80~90%のパフォーマンスしかできない』と。僕は、自分でどうにもならないとなったら吹っ切れちゃう性格。手術しようとすぐに決断したし、落ち込むことも少なかったです。
この重傷が、あと1~2カ月遅かったらバンクーバー五輪のシーズンに間に合わなかったという。その点では不幸中の幸いだった。
高橋 この休みは必要だったんだと思います。昨シーズンぐらいから、コーチやいろんなことがあって、少しいっぱいいっぱいだったかも。だから、ケガなのに休めることでホッとした部分はあったんです。
そして苦しいリハビリを経て、心も体も新しくなって戻ってきた。【吉松忠弘】(つづく)
◆高橋大輔(たかはし・だいすけ)1986年(昭61)3月16日、岡山県倉敷市生まれ。8歳からスケートを始める。02年3月の世界ジュニア選手権で日本男子として初めて優勝した。トリノ五輪は8位。07年世界選手権で銀メダルを獲得し、08年の4大陸選手権でマークした合計264・41点は世界最高得点。GPは通算4勝。家族は両親と兄2人、弟。165センチ、59キロ。
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