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越和宏(上)年齢重ねても進化する肉体

2009年9月22日

 日本のスケルトン界の第一人者、越和宏(44=システックス)は10年バンクーバー五輪を45歳で迎える。06年トリノ五輪で引退の決断も考えられたが「そこそこでよかった、では辞められない」と現役続行を決断。かつて競輪界で鉄人と呼ばれた松本整トレーナー(50)のサポートも受け、新たな挑戦としてクラブも設立し、後進の育成にもあたっている。すべては集大成となる3度目の五輪のために-。
 44歳の鉄人は今夏、高校野球に心打たれた。自宅で甲子園大会決勝戦をテレビ観戦。終盤まで中京大中京がリードした。「勝負は決まった」。テレビを消し、車で出かけた。だが、ラジオから聞こえてきたのは日本文理が9回2死から5点を奪い、1点差まで追い詰めた驚異の粘り。「あきらめないこと、ひたむきな姿勢に、また学んだ」。己の不屈の競技人生に重なる部分があった。
 06年トリノ五輪。日本の冬季五輪史上最年長となる41歳で出場も、11位に終わった。初出場時の02年ソルトレークシティの8位より成績は下降。引退の時と思われた。03年からトレーナーを務めた松本氏は「やるならやるでリスクがある。前より成績を残せないならやめた方がいい」と厳しく助言した1人でもあった。だが越の決断は違った。
 越 そこそこでよかった、と思える人間ならとっくにやめていた。将来、飲み会で「あれは惜しかったんだ」と失敗を自慢するような姿が目に浮かんだ。そんな飲み会は嫌でしょう。
 肉体に伸びしろが残されているという実感もあった。ライン取りなど滑りは世界有数の技術を持つがスタートは長年の課題。これを解消するため、松本氏と「スタートの屈曲姿勢からスイッチが入った時に、いかに早く最高の力が出せるか」と二人三脚でやった。だが特許を取った松本氏の独自理論「パワーチェンジトレーニング」は高度で難解。トリノ五輪までの3年間では「人が10回で済むところを僕は100回やらないとダメ」と不器用さを認める越には時間が足りなかった。
 トリノ五輪後も長野から松本氏の京都のジムまで足しげく通った。五輪シーズンの今季も10回以上合宿を行った。肉体は確実に進化している。松本氏は「データでは加速度のMAXに到達するのが2年前に比べて70倍の速さになった」と証言する。今月上旬のイタリア合宿では表情でのスタート練習で2年前より0・1秒短縮。年齢は重ねても、過去2回の五輪より成熟度は増している。
 バンクーバー五輪時には45歳。元競輪選手の松本氏は45歳の時、高松宮記念杯をG1最高齢優勝記録更新で制し、電撃引退した。「これで引退と決めていた。越さんも45歳で五輪に臨むことに円を感じる」と松本氏。越も最後の五輪という腹づもりだ。「こんなオッサンが最後にメダルを取ってもいい。そう信じてやっている」。越は執念の先に、奇跡のゴールを思い描く。【広重竜太郎】

 ◆越和宏(こし・かずひろ)1964年(昭39)12月23日、長野県王滝村生まれ。高校時代までは、陸上の投てき選手。仙台大でボブスレーを始め、89年から日本代表入り。スケルトン転向後、00年にはW杯長野大会でそり系種目の日本人として初優勝を飾った。昨年の世界ランキングは25位。173センチ、82キロ。


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