越和宏(下)ライバルを育てのも自分
2009年9月23日
スケルトンの越和宏(44=システックス)は、息子のように年の離れた後輩の表彰式での様子を携帯電話で撮影していた。長野での20日の全日本プッシュ選手権。自身は9位に終わったが、高橋弘篤(25)が初優勝、田山真輔(26)が3位だった。約2年前に越が設立したスケルトンクラブ「ホワイトサンダー」の一員でもある。「一緒に頑張ってきた仲間だし、彼らの成長はうれしいですよ」と目を細めた。
クラブチーム発足は日本初の試み。越のメーンスポンサーだったシステックスが支援した。当時、競技活動に専念していたのは越ぐらい。多くの選手が社員やバイトとして仕事をしていた。
田山も地元静岡のゴルフ場で期間雇用で働いていた。これでは世界では勝てない。「24時間、スケルトンに注げる環境を組織としてつくりたい」。越は有望な若手選手に声をかけ、2人をクラブに加えた。3人のチームに与えられた年間予算は約2000万円。スケルトンのプロ集団が誕生した。
だが裏を返せばライバルを育てるようなものだ。現状では日本男子の五輪出場枠は2程度。自らの夢を、自らつぶすことにもなりかねない。だが越は「国内での競争力を高めるためにも、若い力を伸ばさないとダメ。そうしないと自分も伸びない」と広く目を向けた。
代表候補の若手選手に厳しく接するようになったのも、トリノ五輪後だ。海外遠征で漫画を読んでいる姿を見れば、こう説教することもあった。
越 君たちは海外に行っても1日24時間の貴重な時間で漫画を読んだりしている。でも競技にどれだけ時間を割いているの? オレには危機感がある。生活がかかっている。ファンの思いも背負っている。綱渡りのような競技人生じゃないとダメだ。
口うるさくなったのは年齢を重ねたからではない。92年にボブスレーからスケルトンに転向した時は、競技者はたった1人。そこから道なき道を切り開いてきた。10年バンクーバー五輪が最後の五輪と決めている。残された時間は決して多くない。後を受け継ぐ者たちに、培ってきた財産を託さなければならない。
越 最近は金八先生のように怒っている(笑い)。若手は『何てこのオヤジはうるさいんだ』と思っているでしょう。でも頭に来てもいいから忘れないで欲しいと伝えている。きっと将来、役立つことだから。
スケルトン界を生き抜いてきた男の背中は、五輪でも後輩たちに雄弁に語るはずだ。【広重竜太郎】
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