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途中棄権引退考えた08年/安藤美姫3

2010年1月14日

 安藤美姫は、07年3月の世界選手権(東京)で日本人4人目となる優勝を果たし、3年後のバンクーバー五輪に向けて順調に滑りだした。しかし、その翌年の世界選手権(イエーテボリ)では「引退」に傾くほどのどん底を味わった。

 連覇が懸かった大会で、ショートプログラム(SP)はミスが続いて8位。翌日、逆転を狙ったフリーの演技中にハプニングが起きた。ほとんど失敗したことのなかったジャンプの3回転サルコーで尻もちをついた。続く3回転フリップを回避すると、泣きながらジャッジ席に向かった。約4分のプログラムを用意していた世界女王が、わずか1分7秒で途中棄権という前代未聞の出来事だった。

安藤美姫3
08年世界選手権、泣きながら引きあげる安藤(共同)

 フリー当日の練習前に左ふくらはぎを痛めていた。演技前に診察を受けると肉離れと判明した。信頼するモロゾフ・コーチからは棄権を勧められた。日本スケート連盟からは棄権に必要な書類へのサインを求められた。いずれも拒否し、痛み止めの注射を打って臨んだが、「筋肉が動かず、感覚もなかった」。浅田真央が初の世界女王となって輝きを増した大会で、そのシーズン故障続きだった安藤は深く落ち込んだ。

 世界選手権後には出場予定だったアイスショーや、ジャパン・オープンを相次いで欠場した。安藤はのちに、このころ「引退を考えていた」と明かしている。バンクーバー五輪で金メダルを獲得したい。19歳で世界女王となって現実味を帯びたはずの夢は、その1年後には消えかけてしまった。(つづく)【高田文太】


 ◆安藤美姫(あんどう・みき)1987年(昭和62)12月18日、名古屋市生まれ。中京大中京高卒業後、トヨタ自動車に所属しながら中京大に在学。8歳でスケートを始め、02年ジュニアGPファイナルで女子公式戦では初めて4回転ジャンプに成功。全日本選手権は03、04年と2度優勝。世界選手権は07年優勝、09年銅メダル。09年GPファイナル2位。トリノ五輪は15位。162センチ。


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冬のヒロイン
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バンクーバー五輪代表の女性アスリートを取り上げた日刊スポーツ紙面連載です。

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